• The Gardens – Chamber music for Clematis no Oka もう一つのライナーノーツ

    人と楽器と室内楽

    アンサンブルのリハーサルをしていると、演奏家の名前の代わりに楽器が擬人化されて口に出てしまうことがあります。

    「オーボエ君はその小節、もっと歌って大丈夫です」
    「マンドリンちゃん、そこの一人旅はインテンポでお願いします!」

    なぜこうして、楽器を擬人化して呼んでしまうんだろうと、あらためて考ました。
    人と楽器は一心同体です。演奏の実感として、あるパッセージを弾いているとき、手は楽器を扱うというよりもパッセージそのものと一体化している感覚になります。楽器に限らず、人と道具との関係はそのようなものでしょう。鉛筆を持つときの自分を想像すれば、鉛筆の形を忘れている瞬間があるはずです。
    ところが、楽器というのは道具の中でもとりわけ特殊な形をしています。それ故に、特殊な美しさを持っていると僕は思います。ふつうの工芸にみられる機能美とは一線を画す美しさです。これは、楽器の機能が目に見えないものを生み出すことを目的としているからでしょう。そのまったくもって生活から孤立した形に、僕はある種のおかしみを感じるのです。

    さて、このおかしな形の楽器と、それと一生付き合い続ける演奏家との関係は、ここにきてかなり愛おしい存在に思えてきます。楽器というのは習得するのに複雑な技術を要するので、たいていは一生にひとつの楽器しか演奏しません。人生において、もしかしたら親や子供よりも多くの時間をその楽器のために割くことになるのです。そこまでして、なぜその楽器と付き合うことにしたのだろう、と当然聞きたくなる訳です。

    演奏家たちの答えは様々です。ファゴットの中田さんは、最初はチューバだったそうですし、本多君はピアノも上手いけどオーボエを選びました。葛城さんは人生でほぼマンドリンしか弾いたことがありません。春日井さんはハンガリー人も顔負けの、一族がほぼヴァイオリン弾きです。僕はそんな話を聞きながら、しかしそれでも「なぜ」という問いを頭のなかで繰り返してしまいます。そして、自問するのです。

    そもそも、正しい質問は「なぜあなたはその楽器に選ばれたの?」ではないだろうか、と。

    演奏家は、あるパッセージが上手く演奏できないとき、身体とパッセージとのあいだに横たわる断絶を乗り越えるべく努力します。そしてある瞬間に「弾ける」と実感するようになります。楽器と演奏家が新たに形作る受肉した身体は、道具の可能性を開くと同時に、道具の物理的障害が演奏家を独占する瞬間でもあります。パガニーニのカプリスを弾くヴァイオリニストを想像してください。演奏を始めた次の瞬間から、ほとんど取り憑かれたように演奏する姿を見ることになるでしょう。

    こうして見ると、音楽において人と道具の主従の関係は、もはや一般にイメージされるのとは逆に見えてきます。イニシアチヴをとっているのは楽器の方なのです。だから、楽器は自分を正しく演奏してくれる人をきちんと選んでいるのだ、そう思えてくるのです。プラド美術館にあるボッシュの楽園( “Tuin der lusten” )には、「音楽地獄」と呼ばれる光景が描かれています。その拷問器具としての楽器が僕に戦慄を引き起こすのは、人と楽器との主従の逆転があるからではなく、むしろ、楽器にイニシアチヴをとられることが、経験上の実感としてリアリティーがあるからです。

    そういった訳で、僕は演奏家という不器用な人生を送っている人たちを、まず第一に尊敬しています。楽器から命じられる形で多大な時間を費やして来た人生を尊敬するのです。

    The Gardens – Chamber music for Clematis no Oka という小さなアルバムは、室内楽という伝統的な形式に則って作られています。室内楽は、管弦楽とくらべて楽器と演奏家の個性がよく見えてきて、元来とても好きな形式です。僕はあらゆる形式から自由でありたいといつも思っていますが、このアルバムにおいては、一事が万事、楽器と演奏家をもっと近くで見たいと思い、敢えて室内楽に統一することにしました。これは、アルバムのライナーノートにも触れましたが、「クレマチスの丘」に費やされるすべての手の業、手の存在感に惹かれた僕が、虫眼鏡を使って近眼的な眼差しで、人間の仕事というものをじっくりと見たいと思ったからです。

    ところで、僕はどんな楽器にも選ばれませんでした。作曲をするようになったのも、それが一つの理由だと思います。それだけに、音楽という目に見えない存在に向き合う、物質的に不器用だけれど自らの人生に忠実な演奏家たちと向き合う時間を、僕はこれからも大切にしたいと思います。なによりその時間が、一番楽しいのです。

    2013年9月
    阿部海太郎

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